南米日記

大学3年生でのペルー留学記

学校のない一週間

 洪水の影響で、今週いっぱい学校が休みになった。突然の長期休暇に、全くやることがなくなった。

 日本にいると、友達と会うとなると、少なくとも一週間前には予定を立てないといけない。反してペルーでは、明日の予定も真っ白。こっちに来て手帳はほとんど開いていない。

 周りも皆そんな感じ。友達からの電話は大体 " Hola ¿cómo estás ? ¿qué haces ? ¿qué vas a hacer ? 「何してるの?このあと何するの?」で始まる。大体とくにプランもないから、そっからバレーボールしよ、とか、◯◯の家行ってみよ、みたいに突然予定が決まる。他の予定が入っていても、「やることないから付いてくわ」と、特に面識がなくても他の友達までついて来る。友達の友達は友達、が通用する国。

 ここに来て、私は今までの人生の中で一番ストレスフリーに生きてると思う。日本でプラン(もちろんそれを組むのは自分なんだけど)に追われて生活してるのが自分が感じてた以上に息苦しかったんだな。

 だからペルーが素晴らしい!と言いたいわけではない。とあるベルギー人の子は、このテキトーさが耐えられないみたいで、逆にストレスフルになっている。人それぞれ、合う、合わないがあるから、自分に合った生活スタイルの文化を見つけるのって大事だと思う。

 ラテンアメリカでストレスフリーに生活したいなら、どこまで自分がテキトーになれるかが重要。そうすれば、バスが全然来ないのも、店の店員がめちゃくちゃ無愛想なのも、ハエがご飯を邪魔してくるのも、水が出ないのも、「まぁ、いっか」ってなる。他人に期待しないのもポイント。自分が、やりたいって思ったことをしてれば、満足できる。

 みんな違うから、他人をrespectoするのも大事。自分とは考え方違うなって人に出会っても「そういう風にこの人は考えるのか、面白いな」って思えるのが本当の意味でのrespecto。

 今まで、どーでもいい事をベラベラ喋ることになんの意味があるんだろ?相手にとって興味のない話をしてなんの意味があるんだろ?と思っていた。でも、ここに来て、そういったどーでもいい、他愛もない会話を通して、相手のことを少しずつ知っていくんだな、と気づいた。日本人の私には、頭に浮かんだことをペラペラ言葉にするのはまだ少し難しい。でもそれができたとき、ビックリするくらい爽快な気持ちになる。なんか言うときに、相手の反応を気にしてちゃだめなんだよね。結局、どれだけ自己満足できるかなんだ。これは、周りの人を観察してて気づいた。

 個人的な見解として、フランス人はよく喋る。話し出すと止まらないから、どこで話に割って入るかがか難しい。ドイツ人もよく喋るけど、彼らはまだ話に突っ込む間をくれる。ラティーノスは自分の国自慢が多い。フィンランド人は愛想が良い。ムーミンネタを出すと、すぐ仲良くなれる。ちなみに、ペルー人は基本的に愛想が悪い。すごく険しい顔で話すけど、実は親切で世話焼き。

 

 こんな感じで、最近は人間観察にはまっています。


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リマから水がなくなった件

リマ近郊のCerva( 山岳地)のHuaycos という地域で大雨が続き、大洪水が起きた。テレビで連日報道はされていたものの、遠くでおきた天災、としてしか理解してなかった。ところが、Limaの水はどうもこのHuaycosから来ているらしく、遂に我家も水が出なくなった。1日、2日目はタンクに貯蓄してあった水をくんできて何とかやり過ごしたが、3日目にもなるとそれも少なくなってきた。近くの公園には水の供給車がやってきて、地域中の人はみんなバケツを持参し、水汲みをしている。私も家族にくっついて行ってきた。ここ数日シャワーはできないから、鍋に水を汲み、それで済ませている。

 大学やショッピングモールには大きな貯水システムがあるらしく、まだ水がでる。大学のシャワールームには朝から大行列が。ショッピングモールのトイレには、歯磨きや洗顔をする人が詰めかけている。

 

 ここ50年間、こんなことはなかったらしい。そんな中でも、日常生活は続いている。

 蛇口をひねれば、水がでるのが当たり前だと思っていた。その当たり前がなくなって初めて、その有難味に気づく。洗濯はどうなるのか、明日はシャワーできるのか…

 と、かなり深刻に書いたけど、個人的にはまだ楽観的にとらえてる。心配してもしょうがないしね。


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多国籍を通して感じるペルー

  私の通うリマの大学には、留学生が世界中からやってくる。国籍は違うといえ、私たちにはこのカオスな街、"リマ"に一人でやってきた、という大きな共通点がある。共通言語もスペイン語だし、もう個人的な国籍とかほとんど気にならなくなるんだ。出身国をスペイン語で言われても、ぱっとわからないことも多いし。

 そんな中でも気づいてしまったのが、自分は白人に対して苦手意識をもってる、ってこと。白人が固まってるとなんか入りにくいなって。だから、最初はメキシコ人とか、コロンビア人とか、韓国人とかしか、積極的に話せなかった。自分がアジア人だからバカにされるんじゃないか、って変な先入観があったみたい。

 ところがある日、ホントにたまたまドイツ、アルゼンチン、チリ、ポーランドのchicosと飲みに行くことになった。(アルゼンチン、チリは白人が多いんです)

一緒に笑って、くだらないことを話して、気づいたときには、勝手に感じていた壁はなくなっていた。人を見た目で判断すると自分の世界を狭めるな、と今は心から思う。ドイツの子に至っては、日本人に近い感覚をもっている、という発見も。ちなみに、ペルーにいると、韓国人はもはや同人種としか思えません。何を持ってそれに気づくかというと、大体は間にラティーノスを挟んだときなんだよね。ペルー独特の混沌とした文化や習慣と対面した時に、どういう反応をするかってところがポイント。

  fiestaに行けば顕著に国民性が現れる。ラティーノスは基本的に踊りまくる。そして、その動きは華麗で、見惚れるほどうまい。アメリカ人は大体ノリで飛び跳ねている。ニコニコしながら頑張ってみるけど、どうにも曲に乗り切れてない韓国人&日本人。群衆を唖然と見つめるドイツ人(片手に持つビールが誰よりも似合っている) という感じ。もちろん人によってどう振る舞うかは様々だけど。

 ドイツの子と、

 「ドイツではこんなふうに踊らないよ」

 「日本もそんなに踊らないよ」

 「サルサ覚えたいね」

 「教室探そっかー」

というやり取りをしたときに、妙な親近感を感じたのが笑える。若干まだ真面目さを捨てきれていない日本人&ドイツ人が真剣にサルサを覚えようとしてるってところが(笑)

 

こんな感じで、いろんな価値観が合わさって、さらに深くペルーを理解していけそう。

南米3大カーニバル

  ずっと憧れていたカーニバルへとついに参加してきた。リオのカーニバルと言えば有名だが、ボリビアオルロのカーニバルも、南米3大カーニバルの1つである。

 カーニバルが何なのか、正直よく分かっていなかったのだが、要は、全国から集まったdanzaのグループやbandasが街中を踊りながら行進し、Virgen (聖母)像まで巡礼する、というお祭りらしい。
 Danzaと一口に言っても、色々な種類がある。悪魔に扮したDiablada、リャマの牧畜に携わる人たちによるLlamerada、先住民に模したMorenado、そしてセクシーな衣装やダンスが目立つCaporalesなど、同じmusicaに合わせて、各々のグループが異なる踊りを披露する。衣装の種類も様々だ。

 

          悪魔のDiablada

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    Morenada セニョーラだって踊っちゃう

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    子供たちも参加する

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 雨の中でも踊り続けるCaporales

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     男子も負けていません

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  よく見ると、みんな怖い顔してる

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  夜が更けると、衣装も大胆に

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 カーニバル真っ只中のオルロには、ボリビア中から人が集まってくる。ホテルだけでは宿が足りないため、自宅の空き部屋を貸し出す人もたくさんだ。私も、とあるオルロのファミリーにお世話になった。人の家とはいっても、部屋がたくさんあり、たくさんの人が泊まっていた。
 

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 カーニバルが始まったときには全く知らなかった人とも、夜が深まってくる頃にはみんな友達だ。近くにいたseñora は、付きっきりでdanzaの説明をしてくれた。これまた近くにいたseñorita は"Estás bien?" とずっと私の事を気にかけてくれた。そういう人達のおかげで、何事もなく、カーニバルを楽しむことが出来た。感謝してもしきれない。
 知らない人どうしが、音楽とダンスを通して時間を共有し、友達になっていくのは、本当に素敵な文化。
 
 カーニバルにはお昼頃から参加したが、気づけば夜も明けようとしていた。いったい何時間いたんだろう。
 
 翌日は、カーニバルで仲良くなったChicasと、お家の息子も一緒になって、聖母像を見に行った。像は山の頂上にあり、そこからはオルロの街が一望できる。

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 街からは、太鼓や笛の音が鳴り響いている。カーニバルはまだまだ終わらない。

ウユニでの悲劇

  "Salar de Uyuni"「ウユニ塩湖」という名前は、どこかで聞いたことがあるのではないだろうか。日本でも今流行りの観光地である。あまりにも定番であるため逆に興味がなかったのだが、今回のボリビア旅行を全てアレンジしてくれた現地のコメディアン、通称Chichi-Kimさんが予定に組み込んでくれたので、行くこととなった。


 ここで、Chichiさんについて。彼とは日本で知り合い、私が先住民の文化に興味があると言ったら、ぜひボリビアに来るといい、と誘ってくれたのだ。正直、あまり良く知らないおじさんと旅行するのは不安だったが、蓋を開けてみれば、本当に良い人だった。コメディアンというのも何か怪しいな、と思っていたのだが、彼の知名度は街を一緒に歩けばすぐに分かった。3歩進むと、誰かしらが「Chichi !!」といって写真を求めてくる。日本でいう出川みたいな感じだろうか。というわけで、私も一緒に芸能人気分を少し味わったわけだ。

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 話をUyuniに戻すと、予想通り、現地は日本人でいっぱいだった。偶然、高校時代の友達に出くわした時は、空いた口が塞がらなかった。
 
  ウユニ塩湖はその名の通り、塩で出来た湖で、湖全体が大きな鏡のようになっている。中心に行くには100キロほどバンに乗って走る必要があるため、現地のガイド Iván に案内してもらい、遂に絶景に辿り着くことができた。360度、どこを見ても青い空と白い雲が広がり、それが湖に反射するためどちらが上で、どちらが下かもわからなくなる。天国が本当にあるのなら、きっとこんなところなんだろう。

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 と、ここまで読んでもらうと、いかにも絶景を満喫してきたように感じるだろう。しかし実はこの時、私は景色なんてほとんど見ることができなかった。というのも、ウユニのど真ん中、トイレに行きたくなっていたのだ。 じっと耐えていたが、もう我慢の限界。遂にIván に "Quiero ir al baño!! Baño, baño, porfavor" と叫んだ。いったんトイレのあるところまで引き上げてくれると踏んでのことだ。ところが彼は、
 「今ある唯一の方法は、この車で僕達の見えないところまで行くことだけだよ」
というのだ。車なんて運転したことないし、ましてやIvánの車はマニュアルだ。
しかし、もう我慢の限界は超えていたし、どこに暴走したとしてもぶつかるものや、ひく人もいなかったので、「どうにでもなれ!!!」と車を走らせた。
 
 
 
 
 ウユニでの大暴走は、トイレに行きたかったことを一瞬忘れさせるほど、爽快で、Iván とChichiが点になってしまうと、まるで自分一人がこの世界にいるかのように感じた。こんな気持ち、二度と味わう事はできないだろう。

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 という綺麗な話も束の間、私は無事、かの有名なウユニ塩湖のど真ん中で用を足すことができた。そして、ただただ恥ずかしさと、世界のみんなに対する申し訳無さを感じながら、帰路についた。
 
 
      Salarには世界中から観光客がやってくる

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    現地の人はアルパカなどの民芸品で生計を立てている。

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 ウユニの中心にはサボテンだらけの島が。ここで三日間漂流したウルグアイ人を救出。

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  タイヤがパンクし、危うく私たちも漂流しかける。

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La Paz にてボリビアを知る

 

  ボリビアの首都 La Pazは標高が富士山の頂上と同じくらいの所にある街で、少し坂を上るだけでも息が上がってしまう。しかも、街がすり鉢状になっているため、どこに行くにも急な坂を上り降りしないといけない。公共交通機関にロープウェイが使われていると言えば想像できるかな。

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とはいえ、その街並みには独特の色合いの建物や、多くの人で賑わうmercadoがあり、歩いているだけでわくわくしてくる。ジブリに出てくるような街を小汚くした感じ。私は、ヨーロッパの整然とした綺麗な町並みよりも、こういうごちゃごちゃした世界に惹かれるみたい。街全体が(住んでる人も含めて)カオスなんだ。  

  例えば、家などを含めた建物。南米には、途中で工事を放棄したとしか思えないような中途半端な建物がたくさんある。そして、当たり前のように人がそこに住んでいる。ずっと、「工事中に経費がなくなったんだろう」と解釈していたのだが、実はこのカオスな建築物には、すごい秘密が隠されていた。  

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  "脱税" つまり、家が完成してしまうと税金を払わないといけなくなるため、あえて完成させないというのだ。そんな裏があったとは…。脱税ならぬ、脱帽です…。      街で物乞いしたり、謎のお菓子を売っているIndigenas(先住民)も、実はあれで結構儲けているらしい。本当は金持ちなのに、貧乏人のふりをしている人も紛れているんだとか。ここでは全てがネゴシエーションなんだ。  みんないろんなことを考え、上手く生きている。こういうところから、Latinosの生気が溢れてくるのだろう。  

 

 ボリビアのご飯は美味しくない、とよく言われるが、これがまた嘘っぱちだった。Pollo, Carne, Cordero, Pescadoなどなど、何を食べても美味しい。様々な種類の芋や、お米との相性も抜群。お財布に優しいお値段にも感動だ。  各々が自由だからこそ、他人にも優しくなる。みんなが助け合いながら生きているこの街は、カオスでありながら、活気に満ちていた。  

 

 

  デモ隊と警察の衝突の際の傷跡があえて残されている教会

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 電線の見栄えは気にしないみたい

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  Polloは定番

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 デモは割と頻繁に起こります

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 鳩と戯れる少女。さすがにこれは...

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  すり鉢状の町は、中心に行くほど裕福に

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ペルーの日系人


 ペルーには日系人がたくさん暮らしている。その歴史は、100年以上にも渡るんだとか。
 リマにいる数少ない知り合いの一人、Dianaが " Centro cultural Peruano Japonés" という日系人のための施設で日本語のクラスを取っている。それにくっついて行ってきた。移民資料館や、日本食レストランなどもあり、ペルーにいながらして日本を感じた。巣鴨にいそうな、「どう見ても日本人だろ!」というおばさま方がスペイン語で話している。なかなか面白い。


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 ところで、ようやく我が家の状況がつかめてきた。1階にはBalbina の姪っ子Gaby, 甥っ子Pablo、そしてそのお父さんが住んでる。昨日見たおじいさんだ。Gaby は新聞記者で、Teatro(演劇)に関することを担当しているらしい。ペルーで上映している作品をいろいろと教えてくれて、今度一緒に連れていってくれる。実は、ペルーの演劇を見てみたいと前々から思っていたので、思わぬところでそれに詳しい人と出会えてびっくり。願えば叶うものなのか。しかも、ボリビアに行くといったら、靴やらズボンやらを貸してくれた。なんと、靴下まで(笑)。彼女は南米旅行に慣れていて、いろいろとアドバイスをくれた。お土産のハイチューをあげたら、秒で1ダース食べてしまうようなチャーミングなお姉さん。

毎日、いろんな人に助けられながら生活している。Graciasはいくら言ってもたりない。