南米日記

大学3年生でのペルー留学記

日本に帰ってきて

 ずいぶんブログを書くのをさぼってしまった。というのもリマでの生活に慣れ切ってしまい、日々発見のあった初心を忘れてしまったわけだ。

 

 

 早いもので、1月に日本に帰国した。あまりの環境の違いに、まだまだ溶け込めない自分。

日本の方が街はきれいだし、お店のサービスはすごく丁寧だし、住みやすい。流れている時間はすごく早い。

 そして、一番の違いは、街に音がないということ。ペルーではどこに行っても、物売りの人の声、音楽を演奏する人、どこかから流れてくるサルサ、常に音があった。

 他人に関してあまり興味を持っていない人が多いように感じる。電車の中で誰も言葉を発しないのがすごく異様だ。音を出してはいけないという圧力。社会の中の暗黙の了解、規範のようなものがあることを意識せざるを得ない。胸を張って街を歩くことが難しい。口を大きく開けて、大きな声を出して笑うのが難しい。そんな気がする。

でも、このきれいな街、秩序のある国が保たれているのは、そういった目に見えない統制が存在するおかげだと思う。

 

自分にとって何が大切か。自分をおさえなければいけないけれど、安心して暮らせるこの環境か。それとも、常に危険とは隣あわせだが、自分らしくいられる世界か。

 

どこで生きていくかを考えることが今一番の課題。自分が納得できる選択をしたい。

 

Segundo semestre - 二学期 -

  気づけば、二学期も始まって早一か月。信じられないくらい時間はあっという間に過ぎていく。正直、一学期は勉強やら、生活の違いやら、いろいろなことがあって、日本に帰りたいと思うこともしばしば。でも最近は、逆にどうやったらもっと長くペルーにいられるかということばかり考えている。

 

  引っ越しをしたことが自分にとってすごく大きくて、生活は180度変わった。前期はホームステイをしていたのに対して、今学期からは同じ大学の留学生達とシェアハウス。みんな同じような境遇で、正直、ホームステイしていた時の家族よりも、家族って感じがする。家の中ではポルトガル語、ドイツ語、英語が毎日聞こえるのがすごく面白い。最初はみんな英語でばかり会話していたけれど、最近はそのほとんどがスペイン語にかわった。日に日にみんなのスペイン語が上達していくのを見るのも面白い。新しい言葉を覚えるとすぐに使いたがって、最近の流行は、”ahorita" 。みんな使い方があっていようが間違っていようが、使いまくっている。こうやって人って新しい言葉を覚えていくんだなあ、と勝手に関心。

 ご飯もみんなが好き勝手に自炊。いろいろな国の料理を味見するのが楽しい。ほとんど同じ食材を使っているのに、料理する人が違えば全く違う料理になる。おいしそうなものは作り方を教えてもらって吸収。日々、学ぶことはたくさんある。

 平日はみんな授業やら課題やらで忙しく、なかなかゆっくり話す時間はないけれど、週末になるとカードゲームをしたり、音楽を聴いたり、映画を見たり、一緒に過ごす時間も作っている。これがあるから、大変な勉強も頑張れる。 

 

  学校の授業は、いよいよマニアックなものばかりになってしまった。3つの授業をとっている。

‐QUECHUA-

  言語学学科の授業で、ペルーに3つある公用語の一つであるQuechua語を学ぶ授業。インカ時代の公用語でもある。授業は文法が中心ではなく、この言語を話す人達の世界観と言葉の関係に重点を置いて進められていく。新しい言葉を知ることは、新しい価値観を得ること。Quechua語は少数言語で、植民時代に抑圧されていた歴史も持っているため、先生は、この言語がちゃんと文法を持っていて、文字化もされているということにすごく誇りを持っている。私にとって、自分の母国語(日本語)が世界で認められていて、存在することは当たり前だったけれど、世界にはそれが当たり前じゃない人たちもいるんだ、ということを初めて知った。今までは言語を学ぶことは、実用的だから、生きていくために必要だから、と思っていた。でも、今はっきり言えるのは、自分の母国語以外の言語を学ぶことは、その言語を話す人達をリスペクトすることで、彼らの存在を真っ向から受け止めることなんだということ。外国の人が私に日本語で話しかけてくれた時に感じる、心が温かくなる気持ちは、そういう相手の、自分に対するリスペクトを感じるからなんだ。私との出会いをきっかけに日本語に興味を持ってくれる人がいると、これもまた凄くうれしい。

 今思うのは、自分の母国語をもっと大切にしないとな、ということ。何だかんだ、私の90%は日本語と一緒に培ってきた価値観でできていて、その価値観が私や日本特有のものだったんだ、と気づくことができたのは他の言語を知ることができたおかげ。その点、スペイン語にはすごく助けられている。

 

 -文化人類学(アンデス編)-

    この授業では、アンデスの山に住むインディヘナ(先住民)がどういう伝統や文化を持って生きているかについて扱われる。興味深いのは、結婚式の伝統についてのテーマで、場所は違えど、メキシコのオアハカで体験した村の結婚式と重なるところがたくさんあること。自分の経験が学術的に説明されているのは本当に面白い。普段はそんなに発言をしない私も、この授業では質問したいことがたくさんでてくる。大変なのは、大量の文献を読まないといけないこと。それでも、やっぱり興味のあることだから頑張れる。

 

-文化人類学(理論編)-

  今学期とっている授業の中で一番よくわからないのはこの授業。あまりにも抽象的な話が多いため、なかなか難しい。スペイン語の語彙不足も感じる。一緒に文献読んでくれる友達がいて、何とかやっている。

 

 今勉強していることがいったい何の役に立つのかはわからない。でも、少なくとも自分の生き方を考える助けにはすごくなっている。周りにいる友達も文化人類学を勉強するくらいだからマニアックな人が多くて、そういう人達との出会いも楽しい。

好きなことを勉強できるほど幸せなことはないな、と感じるこの頃です。

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先週末に訪れた標高4800メートルの山

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アマゾンに行ってみたり

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アンティクーチョ食べたり

メキシコの村で結婚式

  ドン・ナッチョはメキシコ、Oaxaca州のSan Dionisioという村でmezcal(蒸留酒の一種)を生産しているzapoteco族のおじさん。息子が結婚するということで、結婚式に招待してくれた。

 

  結婚式本番は土曜日。その準備は何日も前から始まる。

 

 木曜日

  食材の下準備。結婚のfiestaは、金曜日から日曜日の夜にかけて3日間続く。その間、500人以上の親戚やら友人が家を訪れ、そこで振舞われる料理はすべて手作り。どの料理にも大量のニンニクが使われるため、この日は朝から晩まで一日中、ニンニクの皮を剥くことになった。

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Oaxaca料理に忘れてはならないtortilla作りも、とうもろこしを挽くところからすべて手作業。このtortillaが規格外に大きくて驚いた。

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      準備のために集まった村中の親戚。ご飯は、みんなで机を囲んでしっかり3食たべる。彼らにとって食べることは欠かせない。朝から晩まで、料理→食べる→食器洗い、のサイクルが繰り返されて、その間、結婚式のための料理の下準備も進んでいく。

 朝ごはんの定番は、チョコラテとパン。時間によっては朝ごはんと昼ごはんが一緒に出てくることもあってびっくり。

 

                                            それにしても大きいお家

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 金曜日 

  早朝、結婚式で食べるための動物を絞めるところから一日が始まる。たくさんの人をまかなわないといけないため、牛が3頭、鶏は60羽ほど絞められた。屠殺するところから、皮剥ぎ、肉の切り分けまですべて手作業。村の男の人達がその作業に撤する。この日の朝ご飯は、新鮮な牛の血で作るスープ。アトレというトウモロコシから作った飲み物と一緒に食べた。

  午後は、結婚式のfiestaの会場の飾りつけのお手伝い。かなり大掛かりな飾りつけとなった。カラフルなデコレーションがメキシコらしい。山に行って花や木の枝を集めてきて、それも飾りつけに使われた。自然と生活が一体化していることがすごく感じられる準備となった。

       日も暮れてきてお腹もすいてきたころ、朝の牛で作ったbarbacoa(肉を焼いてほぐしたもの)のタコス(これがまた大きい)をお母さんたちが持ってきてくれた。「どんなに忙しくても食べることを忘れたらだめだよ」と注意された。これが夕飯かと思いきや、家に帰ったら、同じbarbacoaで作ったスープを食べることに。これもまた美味しかった。

 この日は夜遅くまで、会場、そして家の飾りつけが続いた。

 

 土曜日 ―結婚式本番―

  朝からたくさんの人が家に集まった。訪れた人すべてに朝ごはんのチョコラテとパンを運ぶので大忙し。Desayuno(朝ごはん)が終わったと思ったら、次はalmuerzo(昼頃に食べるご飯のこと)を運ぶことに。Oaxacaで有名なmole(様々な香辛料が効いたチョコレートをチキンにかけて食べる)が振舞われた。招待客は途切れることなく到着してくるため、料理を運ぶ作業は永遠と続く。

 

                                                         大量のmole

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Almuerzoがひと段落すると、banda(楽団)を先頭に、みんなで村の教会へと向かう。お嫁さんは定番の白いドレスを身にまとう。そこでmisaが行われる。

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  教会の後は、みんなでfiestaの会場へ移動。今度は、comida(午後に食べるご飯)で牛肉や鶏肉のタコスのようなものが振舞われた。大量のcervezaとmezcalも投入され、ほろ酔いのおじさんたちもちらほら。凄まじい量の料理の配膳、食器洗いはすべて親戚のお母さんたちがこなしていく。

 

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  ご飯がひと段落すると、baile(踊り)が始まる。Bandaの演奏に合わせて、San Dionisio伝統の踊り(葉っぱを持って踊る)や、お嫁さんの村の踊り(パイナップルをもって踊る)をみんなで踊った。おじさんたちは、mezcalやcervezaをみんなについで回る。自分も飲みながら回っているから、どんどんborracho度は増していく。この日のfiestaは明け方まで続いた。Bandaを引き連れて、fiestaは家でも続いていた。

 

  日曜日―結婚式2日目―

  この日は、新郎新婦が法的な書類にサインをする。村の役所の人(あまりにも普通のおじさんで、親戚かと思った)が家にやってきて、参加者の前でサインが行われた。お嫁さんは伝統的な衣装に身を包み、とても華やかで素敵だった。 

  この日もたくさんの料理が振舞われたが、いろいろ食べ過ぎてもう何が出てきたか忘れてしまった。Frijolesとquesilloがおいしかったのはよく覚えている。

夕方になると、またbaileが始まる。家の前の道路が封鎖され、そこにbandaがやってきて、参加者は一晩中踊る。女の人は良く働くが、おじさんたちは酔っぱらってヘロヘロになっていた。

 

 

  翌日、月曜日には片づけのために親戚の人達がまた集まってきた。この日一日かけても食器洗いは終わらない。総勢1000人以上の参加者だったようだ。片づけの間も、マリアッチの演奏は続き、フィエスタはまだ続いている。

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  日本の結婚式はどうなの?どんな料理を食べるの?と聞かれたときに、ぱっとイメージがわかなかった。日本の伝統的な結婚式ってどんなだっけ、と逆に考えさせられることになった。

 

  “メキシコ”と一言でいっても、住んでいる場所、住んでいる人によってその生活は様々だ。スペイン人の植民時代を経ても、未だに自身の言語、伝統文化を大切にしているSan Dionisioの人達はその生活に誇りを持っている。そんな彼らを見ていて、私自身、もっと自分の文化や伝統、言語を大切にしていかないとな、と思った。

 

f:id:oshidamari:20170803121507j:plain       お母さんたちの努力の結晶

          

 

Selvamonos!!!

  Oxapampa es una provincia media selva de Perú. El último fin de semana  de junio hubo una fiesta electrónica y participamas en ese evento con unos amigos.

 

 ということで、試験前で課題もたまりにたまっているというのにリマからバスに揺られること12時間、北東に位置すOxapampaという町で開催されるエレクトロ音楽のフェスタ、Selvamonosに参加してきた。4日間テントでのキャンプ生活。都会を離れて自然に囲まれたこの旅行で、気分はリフレッシュ。

 

 展望台に上ったり、滝を見に行ったり、ドイツ移民が作った村に行ってみたり。ペルーにいながら、ヨーロッパに来たような感じがするのが面白い。家の作りもリマとは違って木造。気候によって建築様式が大きく変わるという。

 

 リマではアジア人がいることはそれほど珍しくないが、Oxaではヨーロッパ人よりも珍しがられる。写真を一緒に撮りたいという要望に、少しスター気分。

 

 ペルー人は愛想が悪い、というイメージをリマで生活していく中で持っていたけれど、都会を一歩離れると、気さくでのんびりとした人が多い。住んでいる環境が人に与える影響は計り知れない。

 

 二日間に及ぶフェスタでは、解放された空の下、一晩中、様々な種類の音楽が演奏された。 スペインやコロンビアからもいくつかのバンドが参加して、新しいジャンルの音楽を知ることができる。

コロンビアから来た BURNING CARAVANというバンドがとても魅力的だったので、紹介させてもらう。

Burning Caravan - Sam Murió a los 30 (HQ) - YouTube      ←クリック

 

 

 Selvamonosは毎年、6月の末に開催される。興味のある人はぜひ足を運んでみてはどうだろうか。日本ではあまり知られていないペルーの新たな一面が見られる。 

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移動はモトタクシー

1sol=30円なり

 

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ドイツ系ペルー人の少年。初めて中国人を見たらしい

(もはや日本人であることをあえて主張しなくなった私)

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キャンプ生活

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リマにはない青い空がここにある

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この橋、壊れないか心配

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フェスタはこんな感じ

 

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外人さんにびっくり

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のどかです

 

 

家での会話

大体ご飯を食べるときは、ママと2人か、パパも含めて3人で食卓を囲む。

最近気づいたことは、この家族は血圧の話をやたらするということ。親戚のおばさんの血圧は⭕⭕だ、とか、最近血圧が下がってきたとか。私にはどう突っ込んでいいかわからない話題。

ママと盛り上がる話は、大体アメリカ人の食生活がいかにだめか、っていう悪口(?)とか、近所の愛想の悪いおばあさんの悪口(?)とか。どこの国のお年寄りも、話すことは似たようなもんだ。ペルー人はチリ人に対抗意識をかなり持っている。だから、チリ批判も盛り上がる(笑)

ペルーに来て、ずいぶんみんな好き勝手なこと言うな、と思った。そして、人の話を「ふーん」って受け流すことを覚えた。世の中には色んな考え方をする人がいる。たとえ自分がその考えに納得できなくても、批判するんじゃなくて「私はそうは思わないけど、そういう考えもあるのか、なるほど」と吸収すると全部が自分のものになる。

ちょっと大人になったかな。


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Carne asado 

日常生活

ペルーでの日々は、日本の2倍速で過ぎていく。

考えてみると、ちょっとしたことにとんでもないくらい時間を割いている。

はじめの頃はコピー1つするにも1時間近くかかったし、(ペルーにはコピーをする事が仕事のおじさんがいる)図書館の本を探すのにも一苦労。

課題の本読んでいて1日が終わることもしばしば。

 先週は課題に追われて、友達にも会わず引きこもっていたら、かなりネガティブになってしまった。今週は人と会うことにちゃんと時間をさこうと決めて、そしたら元気になってきた。

 自分は、なんでも一人で片付けたいって思いがちだけど、時には周りの人に助けを求めるのも大事なんだな、ってここに来て学んだ。人生って、自分一人じゃできないことだらけなんだね。

 異国の地で、すごく孤独を感じることがある。でもよく周りをみれば、助けてくれる人が沢山いた。一人じゃなかったんだ、って気づいて、すごく気が楽になった。

 考えがネガティブな時って、「みんな不親切だな」とか「ペルー人、愛想悪いな」とか

嫌なところばっかり目についちゃうけど、ポジティブなときは、「いてくれるだけで嬉しいな〜」って思える。周りの人をどう見るかって、自分の気持ち次第なんだよね。人に何かを求めている時って絶対与えられた状況に満足できないけど、自分で自分を喜ばせようってしてるときはすごく幸せになれる。

 授業もわからないことだらけで、いつも頭が痛かった。投げ出したくて、遊び歩いたりもしたけど、やっぱり中途半端な気持ちでいると、生活に影響が出る。

 わからなくてもいいから、ちょっと努力してみよう、って勉強を始めたら、すべてがうまく回りだした。友達といられるちょっとした時間がすごく大切なものになったし、家族といられるご飯の時間もすごく大事にできる。だんだん本が読めるようになってきて、そしたら人の話してることももっとわかるようになってきた。読むことって大事なんだ。

 いろんな人と会うのも大事。つい最近まで、スペイン語うまくなりたいから、なるべくペルー人と関わった方がいいよな、って偏った考えをしていた。でも、実際は周りに色んな国の留学生がいて、日本人もいて。そういう人との関係も自分がここで生きていくためには必要だ、って思えるようになった今日この頃。言葉は、人と人とを繋ぐ道具に過ぎないってことを忘れかけていたから歯車が狂っちゃってた。今は、ちゃんと道具としてスペイン語使っています。伝えたいことがあるうえで言葉は成り立つ。知りたいことがあれば、本も読めるようになる。話したいことがあれば、スペイン語も出てくる。日本人に日本語で話すのもいいんだ、って思えるようになった。

 あと、「食べ物は人を繋ぐ」ってここに来てすごく感じる。大体ペルー人と仲良くなるときは食べ物の話から始まる。「これ食べに行こ!」って仲良くなる。食べ物を囲んで、人が集まる。

 人類学を勉強していると、大体の行動のモチベーションは食べ物だって気づく。スペイン人の植民地支配の話を見ても、食べ物を求めて開拓は進むし。クロニカにも食べ物の話がたくさん出てくるし。

 ペルーには沢山の食材が溢れている。

 色んな種類の野菜、肉、魚、果物、いも、いも、いも。

人類に共通してできることは食べることだから。

日本の友達とこんなに食べ物の話で盛り上がることはないよな。


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昨日食べたアマゾン料理


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 誕生日に作ってくれたPollo al horno


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 は母の日の肉


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ベジタリアンレストラン(ペルーにはベジタリアンの人が多い。)

ルパックで野生に帰る その1

  Semana Santa の休みで、リマから出よう、ということになった。 前日までどこに行くのか、何をするのかも決まっていなかったけれど、ここはラティノス。リマ近郊にある標高3500m越えの山、インカの遺跡があるというRúpacへ行くことが急遽決まった。 

 「トレッキングするよ~」 と言われたけれど、トレッキングが何かよくわからなかった。でも、とりあえず私もメンバーに入っていたのでついていくことに。

 当日の朝は、「テント買わなきゃ」といって、ホームセンターを探すところから始まった。

 まって、ホテルに泊まらないんですか・・・

 

 バスに揺られること2時間。Huaral という町についた。

 近くに海があったから、そこでキャンプをすることに。いいんでしょうか、勝手に海岸で。

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なんか汚いし。

海岸に行ってみると、結構ほかにもテントを張っている人たちがいて、安堵。

空気はジメジメ、一晩中大音量の音楽が鳴り響くはで、よく眠れなかった。

 

 二日目。Huaralの町に戻って買い出し。おやつでも買うのかと思いきや、作り出したメモには

 ・ジャガイモ

 ・米

 ・ニンジン

 ・レンテハス

 ・アベナ

 ・玉ねぎ

などなど、大量の食糧が記載されていた。

 「3日分のお米、何キロいるかな?」

と聞かれてぎょっとした。

Rúpacにレストランとかないんですか・・・。

 

タクシーに相乗りで6人がぎゅうぎゅうに押し込まれ、まずはフロリダという村に向かった。山の上のほうにある村で、そこに向かう道は険しく、ガードレールもなし。これ、落ちたら終わりです。

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フロリダから歩くこと1時間、今はだれも住んでいない村、パンパに到着。ここからRúpac まで4時間ほど山道を登らないといけない。

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 休日だったから、フロリダに住む人たちが特別にお店を開いてくれていた。

 人がいて一安心。

 ここで一晩、野宿することに。

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 ミニガスコンロを持ってきていたから、さっそくそれを使って調理開始。米、芋、野菜をぶち込んで煮たご飯は、暗闇で食べるとよく見えないからすごくおいしかった。お皿なんてないから、鍋から直でcompartido。

 夜はすごく寒かったけど、何とか乗り切った。

 

                          つづく